りょーまのぶろぐ

にゃーん🐱

お受験に失敗した話②

どうも、無職に向け誠意努力中(大嘘)のR-Ryomaです。

 

さて、先日以下のような何かを練成した訳だが…

 

ryoma323.hatenablog.com

 

この国にはわざわざ他人の失敗談を見に来る輩がある程度いるらしい、全くけしからん。かなりのアクセス数が稼げたぞやったね

だが、少数の成功例を好んで見る楽観主義者ばかりで無いことは嬉しい限りである。

 

今回はそんな閲覧者諸君に同じ過ちを繰り返して欲しくないという事で、筆者が没落した要因を前回より話を掘り下げて説明(解明)していこうと思う。そもそも成年済読者が大半なのでは

 

 

 

合格へ全く届かなかった直接的原因(一次要因)は何か

これはなんと言っても『成績が足りない』だろう。前回の通り、筆者は恥ずかしながら昨年秋まで勉強というものを殆ど行わなかった。そんなんで合格したのならば高等教育機関である大学の名を汚すと同義の愚行だ、大学当局には筆者を不合格としたことに対して感謝の意を述べなければならない。

 

では間接的な原因=成績が足りない事に対する直接的な原因は何か。それは『なぜ勉強をしなかったか』だ。

こんなものは過去を振り返って主観的に述べた言い訳しか出てこない可能性があるが、敢えてここで読者の皆に見てもらいたい。

 

ここ数か月、いや数年に渡って考え続けて出た答え(二次要因)は

勉学に対する興味の無さ

大学機関(社会システム)に対する認識不足

将来に対する楽観的思考

家庭環境の歪み

以上の4つ

 

言い方は悪いが"成功した"bachelor*1の読者の大半は「どれも大した事ないじゃないか」と思うだろう?だが、その答えは否だ。これらが全て合わさると最悪だ。

特に、最初から成績が低迷していた筆者にとっては軽い地獄となった。

 

 

 

先ずは『勉学に対する興味の無さ

読者諸君は何を思って中高で勉強をしていたのだろうか。その辺りの間隔が筆者には全く理解できない。いや否定的な事ではなく直接的な利益を得ないのに何故勉強ができるのか、ということだ。

例えば『外人と話したくて英語を勉強した』等の何らかの興味を持っていたり、『なんとなく数学が出来たから』やら『勉強はするものだから』等のような当方にはほぼ理解のできない理由で勉強していない限り、理由も無しに勉強をすることになる。

何故そんなことができるのだ?

何にも利益のない成績の為になぜ時間を捧げられるのか?

当時の筆者がもしやらない事を正当化するならば『わざわざ苦労しようとはしない』とかになるだろう(というか主張していた記憶がある)が、その後の事を考えないのであれば正論であろう。

 

話を戻そう。つまりは、『興味のない物の強制に対する徹底的な嫌悪感と排除願望』を持ちそれが遠因(三次要因①)となったということだ。

ある程度経験をこなした今だからこそ最もらしい理由は得られた、しかし当時はそれらを全く理解できなかった。そして何もやらなかった。それだけだ。

最も、ガキに『勉強すれば将来が楽に~』やら『その知識を知っておくと~』やら説明しても無駄なのでどうしようも無かった話ではある。

 

この辺りを上手く処理できなかった性格、恐らくは他の要因(四次要因①)によって形成されたものだと思われるが……その話は後に回そう。

 

 

 

次は『大学機関(社会システム)に対する認識不足』だ

さて、読者諸君は大学というものをどのようなものとして捉えているだろうか?学歴と答えた方は日本のクソ社会に飲まれ過ぎだ。正解は学術研究及び高等教育機関、そう教育機関であると共に研究機関なのだ。残念ながら筆者の幼少期に持っていた印象は行くのが前提のなってる自由な学校。んなわけがない。

大学という概念を制定する学校教育法を見てみると。

 

学校教育法 

第八十三条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
○2 大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
 

『深く専門の学芸を教授研究』

この認識を把握している人民はこの国にどれほどいるのだろうか。少なくとも当時の筆者は理解していなかった。

 

デキる奴が理解していないのはともかく、致命的な成績の奴が理解せずに大学に行こうとするのは論外であろう。

 今回の結果はそれがモロに出ていると言える。

 

 

三つめは『将来に対する楽観的思考

前回述べた通り、筆者は中学受験を難なくクリアしている。その影響は大きかった。

初っ端から成績低迷でも『なぜ勉強するのだ』を盾にどうせ行けると思い込んでなあなあと過ごしていた。

危機感というのはあったのだろうか、今思ってもあったはずだとは思うのだが恐らく一つの要因でもみ消されていたと思う。それは『他の事案に対応するのに精一杯だった』(三次要因②)である。

 

目の前の問題を精一杯の努力で解決し、それだけで一日が終わる。そんな生活は気付いたら既になっていたと思う。

明確に余裕が無くなったのは三年の夏前だ。その時、何を思ったのか筆者は某運動部へとノリで入部し週5日を自ら潰していくという暴挙に出ている。おいおい何やってるんだよという感じではあるが、今思うと当時からプロの怠け者であった自分がなぜそんな事を行ったのかと疑問に思う。

だが、より良い(努力しなくても過ごしていける)環境を求めていた筆者、もしかすると本能的にわざと部活で時間を潰していたのではという疑いがある。その仮定が正しいとすると逃げようとしていたものは……四次要因②家にいたくなかった、だ。

 

 

 

さて、最後は『家庭環境の歪み』だ。

被害妄想乙と言われそうだし、実際言われてもその判断基準は人それぞれだから否定はできないだろう。だがここで重要なのは本人の主観だ。いくら客観的な主張が問題なしとしても困っているのは個人である。

 

筆者はこの腐った家庭環境で人生を半分潰したと思っている。

 

何が問題か、自分でも完全には把握できていない。しかし今分かることを端的に纏めると。『家庭教育の弊害によって生まれた性格、思考の歪み』だ。

具体例を挙げると

諦め癖

意図しない欲望の抑圧

ストレスに対する貧弱性

等だ。

これらには非常に苦しんでいる。特に最後のは非常に大変だ。丁度去年の今頃からダメになっていき、2日寝てないと立ち直れないことはザラになってきた。

只でさえ成績が最悪なのにこんな弱さを背負っていたらマトモに戦えたものじゃない。

どうにかしてテンションを上げようにも中々難しく、迫ってくる試験日。全くもって最悪だ。神は一体どこを見ているのだろうか。

 

更に最悪なことに、先に述べていた要因『興味のない物の強制に対する徹底的な嫌悪感と排除願望(四次要因①)』『家にいたくなかったという感情(四次要因②)』。双方を引き起こした元本のなる要因はここにあるのではないだろうかと思う。

そう、どちらも自分に苦痛を与えたものから逃げよう(五次要因)としていたのである。

 

再度言っておくが、これらは無理矢理理由づけた被害妄想かもしれない。だが、現状の主観で考えられるものから考慮しての答えである。

 

 

 

 

自らが失敗した要因の解明は以上だ。 

これを本当に公開してもいいのか躊躇するような内容ではある。しかし、どうか貴重な大失敗例というのも読者の皆に見ていただきたい。そういう思いで公開する。

なお、敢えて現状を作り上げた要因を整理しただけに留め、結論は述べない。

 

最後に、もし読者の皆様で何らかの形で児童の教育に携わる方がいるのであれば、再び被害者を出さない為にも参考にして頂きたい。

同じような人間は二人も要らないのだ。

 

*1:学士の意